写真

 

 

私は、記憶力がよわい

 

すぐ忘れる。

温度も、どんなに楽しかったか、些細な優しさや気遣いの言葉も、いろんなことを

 

1年くらい経って、また同じ花の匂いがしたり、川の流れを見て、気温が戻ってきてようやく、思い出す。

 

そこに自分がいて、誰かがいたこと、誰かが自分にとってどんなんで、自分が誰かにとってどんなんだったかをようやく知る

 

本当は忘れたくなくて、でも忘れることを分かってるから、写真を撮る。

 

なんでもない、部屋の一角とか。

灰皿、飲みかけのグラス、横顔、昼帰りした時の、近くの線路とか、空

 

そうしないと、私が忘れたら、もうここに存在してたってこと自体が、最初からなかった事と同じになってしまいそうで、

それで、写真を撮る。

 

 

今日久々に、誰かのために何かをしたいと思えて、

その心地良さを感じた。

 

自分が欲しかったもう手に入らないものを、他人に与え続けることで、自分が満たされる

というのは、

こういうことなのかもしれない。

 

だけど人間は傲慢で、私もそのひとりだから、勝手に愛して、見返りを待ってる

見返りといっても、ただ、祈りなんだけど

 

自分と同じ気持ちであってほしい、っていう、自分勝手な願い

 

 

怒るのも、沼にハマるのも、簡単だ。

 

だけど今は、他の人がなんと言うかは、どうでもいいなあ

 

 

 

大学3年生、秋

 

 

私はずっと、さみしかった。

 

その根源を辿ると、やっぱり何事も幼少期に還る。

 

1番そばにいて欲しい時期に妹ができた。

 

共働きだった両親が授業参観に来ることは滅多になかった。

 

二分の一成人式とやらを、私の小学校は親への感謝発表として授業参観でやった。

私の発表は、友達のお母さんが代わりに聞いてくれた。でも本当は、ママに聞いてほしかった。

 

ピアノの送り迎えだって、定年退職した母親の元上司の老夫婦がしてくれた。雨の日も、雪の日も、

 

放課後はずっと学童にいた。

 

一応ことわっておくと、幼少期、両親の代わりに私に時間をくれた人たちを、大切に思っていることに変わりはない。

 

 

 

ふと、気がついた。

私の求めてるものは、幼少期の、親からの愛だった。

 

もちろん、両親なりに、できる限り時間を割こうとさて、愛してくれていたことは分かる。

でも、圧倒的にひとりだった。

 

 

それは、今もう手に入らない。

 

 

だから今度は、自分が欲しかったものを誰かに与え続けることで、自分の孤独も満たそう。

 

 

そうやって考えたら、ふわっと肩の荷がおりて、

寂しさも受け入れられるようになった気がする。

 

 

 

自分をいちばん好きでいてくれる存在が欲しかった。

 

深夜、ぐったりとしたさみしさに沈んでしまった時に、底に着く前に救いあげてくれる安心感が欲しかった。

 

でも、悲しむのも私、悲しみから抜け出すのも私であるべきだし、

 

誰かを愛おしく思って大事にするのと、大事にしてくれる人を大事にしようとするのは、全く別物だ。

 

その事をしっかり考えられた時から、私は寂しさとうまく生きられるようになった。

 

1人でも、独りだとは感じない。

誰も私を1番に好きでなくても、私がいちばん私を好きでいようと思える。

私は1人でどこへでも行けるし、なんだってできる。

 

際限の無い虚無感も、理由のない孤独感も、もう1人で何とかできる。

 

その上で、1人でもいられる上で、どこで誰とどうしていきたいかを、考えてる。

 

 

 

ただ、

執着をなくそうと思うと、本気で想うことが怖くなる。

 

失敗を恐れて100パーセントの努力をしないしょうもない行いと同じことをしてるような気がする。

 

心を明け渡すのは怖い。傷つくのも怖い。

傷つく覚悟をするのは、口で言うほど簡単じゃない。

 

それが、次の課題!

 

 

衝撃

 

これはただの日記で、誰に宛てたものでもなく、強いて言うなら自分に宛ててる。

 

ので、深く考えずに覗いて、読み飛ばして、暇つぶしにしてもらえたら、と思う。

 

 

9月になった。なんならもうすぐ22歳になる。

 

この前、楽器を買った。赤いキーボード。

25万ちょいした。高い。だけど、やっぱりいい音!!!!!!

 

この前のブログに書いたバンドでライブに出た時、対バン相手が弾いてたこのキーボードの音に心底惚れてしまったので、

次の日くらいに即購入した。

 

もちろんママローンで。ママありがとう。本当にありがとう、パパも。ドラ娘でごめんなさい。。

 

 

一目惚れ、ならぬ"一耳惚れ"だった。

 

 

その日は朝から雨が降っていて、大学に入った時に買った8万くらいのキーボードを背負ってラーメンを食べた。

 

事前に聴いていた対バン相手の曲がすごく好きだったので、

私はこのライブをむちゃくちゃに楽しみにしていて、朝からドキドキしていたほどだった。

 

のにも関わらず、私はと言うと、

リハでみんなが見守る中シールドが断線してますと言われたり、

(実際には全然断線してなかった。腹立つ。)

スタンドががちゃん言うて畳まったり、

(固定されてなかったならなんで自立できてたんだよ!)

 

さんざん恥ずかしかった。

 

ただ、恥ずかしかった。という記憶がある。

 

 

バンドメンバーのひとりが諸事情で出られず、ギターはサークルの先輩の代打だった。

 

演奏自体あんまりうまくいかなかったが、

私にとってその日そんなことはまるでどうでもよかったのだ。(だめだろ)

 

 

対バン相手のキーボードが、なにもかも良すぎた。

衝撃だった。

 

 

今まで、技術で上の人間を見つけたとて、

そもそもそんなことは田舎の小中高でごく稀だったが、

別に、どうでもよかった。

 

だって、

練習すれば弾けないものなんてないし、

わたし、曲、いい曲、つくれるし。

あと、顔とかかっこいいし。(?)

だから、わたしは負けてない

 

なんて。思ってた。

今考えたら、そーとーアホらしい。

もし親友がこんなの聞いたら、バカにして笑うかもしれない。

 

でもこれが、何かしらで勝ってると思うことが、私なりの自尊心の保ち方だったんだと思う。

ほんとうにしょうもないんだけど。

 

そのキーボディストは、そのバンドの曲を作っている本人だった。

 

曲が死ぬほど好きだった。

音作り、めちゃくちゃ良かった。

どう考えても、上手かった。

そんで、たぶん出会った人間の中で5本指に入るくらい見た目が美しかった。

で、極めつけは、年下で、異性だった。

 

 

終わった。と思った。

 

終わった。私はこれから自分の憧れを無視出来ずに無意識に他人を倣っては距離を自覚して絶望し、もしすごく好みのものができたとてそれは他人のものそのものに限りなく近いのだ。そんでそれは年上でも同性でもないのだ。終わった。

 

と思った。マジで。

 

 

考えただけで気分が悪くて、

でも好きな音楽に出逢えた喜びももちろんあって、

どこかまだほのかに残っていた負けず嫌いが燻っているのも感じた。

 

ライブハウスで聴くと顕著にわかる、音の良さの差。

オーケストラの中で1人だけ玩具の楽器を弾いている気持ちになって、いたたまれなくて、早く帰りたかった。

 

 

それで、全部の感情がごちゃごちゃになって、25万のキーボードを、買った。(一旦買ってもらった)

 

 

と、いう出来事があってからほとんど毎日、

起きてから寝る前まで暇を見つけてはキーボードを弾いてる。

曲を作って、音を作って、DAWの勉強して、、

ずっといじってる。

 

 

これほど創作意欲を刺激するものって、ないと思う。

だからこそ、これをずっと持ってた人達との差が怖くもある。

 

 

でも、あの衝撃は、人生を変えるんだろうな、とも思う。

 

1曲目は、その、雨の日について書いた。

 

いつか、聴いてね

 

 

 

 

 

大学3年生になりました

 

気がついたらもう5月で、私は奇跡に奇跡が積み重なって3年生になれたようで、とうとうキャンパスが変わりました。

 

のに!全然大学にいけないじゃないですか!

これじゃ去年と変わらん!

 

と思いきや、

そうそう、バンドを始めました。生活、一変。

 

音楽の道は、親に音大進学を反対されてから諦めてたのに、

大学生になって今度は大好きな友達とまた音楽の道を目指せるなんてこんな胸熱な展開あっていいの〜?!って気持ち。

 

とにかく、忙しい。

 

結成したのが2月で、4月中に4曲作ってレコーディングをし終えた。私たちはスタートが遅かったので同世代に追いつくためにはこのくらいのスピードでやらないといけない。

 

差し迫る就職の時期。

 

 

4曲サイトにアップしてから半月?が経った。

 

2万回再生を超え、ライブやらなにやらのオファーもたくさんいただいて、こっからかな、という感じである。

 

けど、焦りは怖い。お金が無いのも。

 

空気がピリつくのやだね〜( *_* )

 

 

バンドはすごくお金がかかる。1回スタジオに入ると1600円くらいかかるし、機材やらなにやら、追求し始めたら終わりがない。

 

 

音楽はやっぱりお金が物を言う。

 

 

野口も樋口も諭吉もやたら雄弁に語るのだ。(MOROHA)

 

 

だけどやっぱりバンドメンバーが大好きで、みんなに会えるスタジオが大好きで、曲作りもピアノも音楽のすべてが大好きだ。

 

なにかすごく打ち込めることが出来て、バンドメンバーは家族みたいで、新しい居場所ができて、みんなに褒められて自信がついて、結果メンタルがすごく安定した。

 

みんなといると、なんでも出来ちゃうんじゃないかって思える。

 

 

だけど、上には上がいて、比べたらキリがなくて、

それはちゃんと凹む。

 

もっと練習しなきゃね。

 

バンド名にちゃんとそぐう、いい歌詞が書きたいな。

 

 

 

 

 

 

サヨナラの春

 

大好きな代が卒業してしまった。

下手したら同期より大好きな代。

私の大学生活2年間を丸々彩ってくれた代。

 

4年が知ってるかわからんけど、

私はほんとに4年生が大好きで大好きで仕方なかったよ。

だから追いコンの日がいつまでも来て欲しくなくて、

全員と100バンドずつくらい組みたかったし、永遠にスタジオ入ってたかった。

 

 

本当に好きだったの、

 

自分勝手で、破天荒で、突拍子もなくて、適当な嘘ばっかついて、むちゃくちゃで、笑いにストイックで、人一倍人情にアツくて、私のことをよく見ててくれて、本当は誰よりも優しくて、解放的で、自由な4年生が。

 

一緒にいるとまるで自分もそういう人間になれたみたいに感じられて、

そういうみんなの一員になれた気がして、

ほんとに楽しかったな。幸せだったな。

 

 

自分の最高値を知ってしまったら、それ以外の人間と何をどう目指せばいいんだろう。

 

生まれてきてから1番楽しいことも、嬉しいことも、幸せなことも、悲しいことも、寂しいことも、全部4年生が教えてくれた。

 

ほんとに沢山遊んでもらったな。

 

私、その思い出を何一つとして忘れないから、

どうか私を忘れないでほしい。

 

せめてたまに思い出して、

元気にしてるか、何が楽しいか、何を頑張ってるか、

教えて欲しいな。遊んでくれたら1番嬉しいけど。

 

いつでもずっと応援してます。

 

ドレスコーズの、スーパースーパーサッドっていう曲に、

 

歌にはふたつあって

それは僕も知らない歌と

ただただ君との日々を思い出すためだけの歌

 

て歌詞があるんだけど、

私にとってもこの世に存在する歌はふたつ。

私も知らない歌と、

4年との日々を思い出すためだけの歌。

 

 

 

僕には全て 君には最後

 

なのよ。

4年生が私の全てでした。

 

 

普通に食いもんが喉を通らん

 

 

めっちゃ久しぶり!

 

元気だった??最近全然書いてなかったな。

 

気がついたら日中はだいぶ暖かくて、もうすぐ春って感じだね。待ちわびてた春。まだ世の中は去年と状況変わってないし、ちゃんと緊急事態宣言中だけど。

 

居酒屋は時短営業で、終電の駆け引きすら出来ない。(そんなのしたことないよ

 

なんで書いてなかったかと言うと、感情の動きがあんまりなかったからです。それはたぶん、いいことでもある。

 

好きなものが増えていくのは怖い。入れこみたくない。それが人間の場合、いつか居なくなるし。

 

最近好きな物は増えていく。新しいことも始まったし、色んな習慣が出来てきた。

 

だけど、心が強く惹かれてどうしようもないあの感覚!他のことがどうでも良くて、駆け出すくらいのあの感覚が、またいつか訪れるんだろうか。

 

悲しいこともあんまりない。他人による悲しいことは一切ない。

自分の無能さには日々絶望するけどね。

 

きっと、これが安定っていうことなんだ。それが欲しかったんだよね。人間はほんとにないものねだりで困る。

 

 

めっちゃ謝られたら、私の中の怨念というか、執着というか、そういうドロっとした悲しい感情が消えた。成仏した。

いつか謝って欲しい、いつか後悔して欲しいと思い続けるのは苦しい事だった。

 

謝られて、ああやっと分かってもらった、私の痛みはおかしい事じゃなかった、って思えて、パッとどうでも良くなって、頑張ったな、でもこれで良かったよなと思った。

 

そんで、その人に許すことを教わったので、今回私は、今までの事を全部を許すことにした。

そしたら結構忘れた。許したら人は忘れるらしい。

 

 

最近、周りに残ってる人達は、どこかしら自分に似てるところがあるなと思い始めた。

同期にしろ先輩にしろかつてのクラスメイトにしろ親友にしろ、似てる。(失礼かも)(ごめんね)

 

そんで、落ち着く。

ワクワクするし、たくさん笑うけど、なにより落ち着く。その人がどうだからとかじゃなくて、ただその人の纏う雰囲気が、作る空気が好き。言葉の選び方も、話し方も好き!

 

きっと少しくらいは私をわかってくれるかもという希望もある。もっと仲良くなれるだろうという希望も。

 

そんなひとたちばっかりが、今もそばに残ってる。

 

 

恋人はなんの申し分もなく優しくて愛おしくて、

私はものすごく惨めになる。

 

私は他人に与えることもできないばかりかろくに感情のコントロールもできない。全然釣り合わない。

 

だけど、相手がありのままであるとき、私は凄く嬉しい。

そんで、心を閉ざされる時、一人でいる時よりずっと寂しくなるし、無力感を感じる。

すればするほど、恋愛は下手になるらしい。

 

 

この前みんなでドライブしてる時、ふざけてスピードを出した運転手が、このまま死んじゃおう的なことを言った。そんなメンヘラチックな感じではなかったかも。けどそんな感じのことを言った。

 

それに対して私は、「ダメだよー」と言った。

 

言ってから、ん?となった。ダメだよ?

自分はそんなふうに考えるようになったのかとハッとした。

 

私は車が大好きで、特別な助手席に乗る時、このまま死んじゃいたいなと毎回思っていた。

その瞬間が人生の最高地点だと思ってたからだった。

 

でも、そういう思考がもうなかった。

 

なんでだろう。と考えた時、未来にも期待できるようになったからなのかもしれないと思った。

 

今が最高で、その先のことはなんら保証もなく、またドン底かもしれない。それならば今ここで死にたいと、そう思わなくなってた。

 

これは、結構、自分でも衝撃的だった。

 

だけど、人は変わる。そんなことはちゃんと分かってる。

 

花束みたいな恋をしたで、男が

「僕の人生の目標は、絹ちゃんとの現状維持です!」

と言う。

 

いいなあと思った。が、その男が1番、現状不維持だった。

ほんまクソ。

そんで、最後には縋る。遅い。イライラした。

 

人が変わるのは仕方ない。状況が変わるから。

 

私も来年度になれば後期には就活をしているだろうし、もっと先大学を卒業して社会に出れば関わる人間も増えて、変わって、あらゆる責任を負う。

きっと親からも解放されて、1人で暮らす。

バンド活動がどうなってるかは検討もつかない。

 

なんにせよ、そうなったらきっと私は変わる。ちょっとくらいは絶対に変わる。

 

そうなった時、盲目的に現状維持するんじゃなくて、その時その時、ベストな距離感で、相手のことを大事に思い続けることが1番最優先なんじゃないかな……

 

ごちゃごちゃ言ったけど、結局は、気持ちがあるかないかなんだけど、多分。

 

 

親は、うるさい。

 

親は、昔から私をなんかすごい子にしたがってる。

幼少期から、バレエ、水泳、そろばん、ピアノ、英会話、学習塾、、とあらゆる習い事を習わせ、

親の思う俗物的なメディアから私を遮断した。

大学に入るまで私は7時のニュースしか見させて貰えなかったし、当然スマホなんか買い与えて貰えなかった。

高校生の時、駅のホームで私だけケータイをいじらなかったのは、ガラケーを出すのが恥ずかしかったからだった。

友達と遊びに行くと言っても、ツーショットを送ることが条件だった。

 

母親は何から私を守ろうとしていたのか。

高校の時、友達から変だよと言われて、当たり前の日常が、私の中で過保護、過干渉として認識されるようになった。やっとだった。

 

大学1年生になっても、門限があった。

大学入りたての頃はまだ母親にビクビクしていて、

無数の不在着信に、頭が真っ白になることがよくあった。

そういう時、友達と遊んでいても心臓がバクバクしてろくに笑えなくなってしまう。

楽しい時間を母親に邪魔されるのがほんとに嫌だった。

家に帰れば怒鳴られる。叫ばれて、泣かれたりして、もうさすがに殴っては来ないけど、でかい声がホントに苦痛だった。

ドライヤーが嫌いなのは、母親が私を呼ぶ声が聞こえないかもしれないから。反応しないとキレる。そのビクビクを、あの轟音に感じるようになっていた。

 

そんな時、また母親からの無数の不在着信を見て、新歓コンパの二次会に行くのをやめようとした時、

ど金髪の女の子が私の手を取った。

そんなの無視しちゃえばいいじゃん!行こうよ!と言ったその子の顔はすごく綺麗で、髪の毛もなんかすごくて、めちゃくちゃ仲良くなりたかったし、

ほんとはめちゃくちゃ行きたかったので、

 

スマホの電源を切った。

 

その時、もう母親に怒られるとか、彼女の想定してる道から外れるとか、

どうでもよくなった。

 

 

私は真面目じゃないし、単位もちゃんと取ってるようないい子じゃないし、家に帰らずに遊んだりするし、酒もタバコもするし、周りの人間もテキトウやってるけど、

けどそれを私は大切に思ってる。

母親の思う私の像とかけ離れていることに罪悪感もない。

 

早く、諦めてくれたらいいなと思う。

 

 

そろそろ春が来ないかなぁ。

冬は飽きた。

またみんなで出かけたいな。もうちょっと薄着して。

春は私の一番好きな季節です。

 

聞いてー!

 

時が経つのって1番いいな!

 

31日の自分の決断、合ってたのか合ってたのか間違ってたのかもしれない会いたい寂しいって思い続けて、

終電と始発を待って我慢して逃してっていうのを繰り返してたけど、

 

私がちゃんと言えなかったから上手くいかなかった、言ってたら違ってたかもしれない、自分の選択ゆえにこうなってしまった、自分さえ我慢すれば頑張れば恐れなければなんとかなったのではないか?と、思っていたわけだけど、

 

言い続けないとできないってなんなん?言わせる空気とかタイミングを作らせないってなんなん?言ったとて自分の理論で言いくるめられるから言わなくなって言ったわけだし、

そもそもその価値観がないからわからない!ってのは単純に共感性が無さすぎるし、だからといって人を傷つけていいわけじゃないし、

 

モラハラに悩んでる子の話聞いてたらまんまで笑っちゃったし、その子にすら、私が言うのはなんだけど、別れてよかったんじゃないかなと言われて、

いやマジでそうかも!!!!!!!

 

 

あのね全ての時間が苦しかった訳じゃない、ずっと悲しかった訳じゃなくて、

朝ごはんを作る寝起きの昼下がりとか、スイーツを買って帰ってきてこたつでくつろぐ夜とか大好きでたまらなかったんだけど、

たまに名前を呼ばれるのとか抱き寄せられるのとか、

 

けど1人の明け方も、帰ってこない返信も、惨めな夜中も、当日のドタキャンも、あらゆる約束に期待しまいとする寂しさも、気まぐれな不機嫌に脅えてでもなお普通に振舞おうとするのも、無能呼ばわりされて容姿を否定されるのも、この人と付き合ってていいのかなほんとに幸せなのかなって思い悩み続けるのも、次嫌なことされたら別れようって先延ばしにして逃げるのも、

 

なんかそういうのはもういらないかなーって

 

大好きな日々を、もう手放しで愛おしんでもう1回欲しいと思えなくなっちゃった!

 

でもそういうのを経て、私は絶対に沢山成長できたし、感情が麻痺したみたいなとこはあるかもだし、普通の優しさに感動するようになっちゃってるけど、(笑)

 

愛することは全て許すことではないこと。

小さな違和感を無視しないこと。

嫌なことは嫌だって言うこと。押し殺さないこと。

 

できなかったこともたくさんあるけど、すべきだったことは今分かる。そのための1年半、2年だったのかな、と思う。

そして今はもうそれには耐えられないので、いらない。

 

いつかまた必要なら、そういう運命ならまた出会うかもしれないし、それはきっと今とは違う形で、お互いに今とは変わってるんだろうな。

 

だから、今はこれでいい。私は間違ってなかった。

 

長かったなあ